▼1980年代 〜『ドルアーガの塔』から『カイの冒険』まで

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1984年

7月
アーケード版『ドルアーガの塔』発表
 すべてのはじまりとなった日。
 当時をリアルタイムに知るわけでもないので、くわしいことは知らないが、発売当初から雑誌などで「マニアへの挑戦状」と開発者の遠藤雅伸氏が公言していたため、ある程度のプレイヤーが発売と同時に挑みかかったらしい。遠藤氏は当時『ゼビウス』がヒットし、テレビ番組などにも出演するなど“時代の寵児”的な扱いをされており、それもあって『ゼビウス』につづくゲームである『ドルアーガの塔』には、多くの期待が集まったようだ。
 結果として、いまで言うところのライトユーザーを引き込むゲームではなかったものの、マニアは期待以上にこのゲームに情熱を傾け(逆に言えば大いに情熱を傾けざるを得ないほど敷居の高いゲームでもあったのだが)、長きにわたって相当数のインカム(収入)をかせいだと言われている。
 そして、このゲームに関する情報交換が、いわゆる“常連”の横のつながりを生み出したり、ストーリーやキャラクターが雑誌の投稿イラストや同人誌という手段で扱われる先鞭となったのは、言うまでもない。


1985年

8月6日
ファミリーコンピュータ版『ドルアーガの塔』発売
 アーケード版に大量の金をつぎ込んだゲーマーと、山ほど裏ワザがあると聞きつけた子供たちに熱狂的に迎えられた、家庭用初の『ドルアーガの塔』。当時はこれのためにファミコンを買ったという人が、『ゼビウス』ほどではないが多数いたというウワサもあり、事実同時期の『スパルタンX』などをおさえて当時は売り上げトップを記録。のちに『スーパーマリオブラザーズ』が登場するまで、ファミコン人気ゲームの牙城を守りつづけてきた。

 ファミコン版『ドルアーガの塔』がもたらした最大の影響は、雨後の筍のごとく乱発された攻略本だろう。
 もともと徳間書店刊「ファミリーコンピューターMagazine」の影響で「ウラ技」という言葉が世に浸透し、さらに同じナムコットから発売されたファミコン版『ゼビウス』の、おそらくメーカーが削除し忘れたデバッグモード(無敵や残機増加点数の調整、難易度のコントロールなどが可能なもの)が、世に大きな衝撃を与えた。その結果、メーカーが故意に仕込んだ隠しコマンドや、取れずじまいのまま製品版に残ってしまったバグ、さらにはハードの電源を入れたままロムを抜き差しするという荒技までが、裏ワザとして世に出ることとなる。
 折りしも『ゼビウス』あたりから火がつきはじめた攻略本ブームは、この『ドルアーガの塔』で一気に勢いが増した。なにせ、ひとつの面に必ずひとつ裏ワザがあって(例外アリ)、しかもそれを知らなければ先に進むのもままならない。したがって、攻略本の需要はほかのゲームの比ではなく、当時としては桁違いの供給があったと思われる。もちろん、攻略本を発売したのも1社2社ではない。
 本作には、さらに『裏ドルアーガ』という通常とは宝箱の出し方がすべて変更されたモードがあり、表と裏で1冊ずつ攻略本を出版したところさえあった。さらに、このゲームにも削除し忘れたデバッグモードとおぼしきコマンドがあり、上下左右下上右左左右下上右左上とかなんとかでフロアセレクトが可能となるのだ。
 こうした隠しモードや隠しコマンドの存在が、ゲームの魅力と相まってプレイヤーをさらに強く引きつけ、ビッグヒットを記録した要因となったのだろう。

 ちなみに、世の『ドルアーガの塔』ファンのなかには、このファミコン版から入ったという人も多い。当時の小中学生にとって、ゲームセンターはまだまだ一人では行きづらい場所。あとからオールドゲームを置いてある店に行って、はじめてアーケード版をプレイした、という人も当時のお子様ユーザーには多いはずだ。

10月
ボードゲーム版『ザ・タワー・オブ・ドルアーガ』発売
 ナムコットより3作発売されたボードゲームシリーズの第1弾。ゲームデザインには、『ドルアーガの塔』のキャラクターデザインでお馴染みの篠崎雄一郎氏が携わっている。

 当時はコンピュータ・ゲームの発展が目覚ましいとはいえ、まだまだその表現力は乏しかった。すなわち、遊ぶ側の想像力もまた逞しかったのだ。加えてゲームという存在がまだマイノリティであったためか、遊ぶ側同士の絆も強かった。
 それと、この時期と前後してゲームブックやテーブルトークRPGが日本でもその存在が認知され、若きヲタクたちがこぞって遊び始めた。このときナムコ(ット)が仕掛けたボードゲームは、当時海外には大人にも好事家が多かったボードゲームを日本でも広めようという想いが根底にあり、単なる運まかせのスゴロクに終わらない、かといってウォーシミュレーションのように難しすぎない、その中間の線を狙って開発が進められた(のちに篠崎氏本人が、月刊NG'87年3月号にて開発秘話を語っている)。

 ナムコットのボードゲームは、このあと第2弾『パックランド』、第3弾『ドラゴンバスター』、さらにハンディボードゲームシリーズとして『ワルキューレの伝説』『スーパーゼビウス ガンプの謎』と続くが、結果的にはこの5作品で一連のシリーズは終焉を迎えた。その原因を断ずるのは難しいが、やはりボードゲームにはカードやチップ、コマの類が非常に多く、物を紛失しやすい子供にとってはまだ早すぎた遊びだったのかもしれない。
 90年代に入り、このゲームが発売されたとき子供だった世代が、『マジック:ザ・ギャザリング』や『カタンの開拓者』などで遊ぶようになったのは、ある意味で運命的だったとも言えよう。

 ちなみに、管理人は『ドラゴンバスター』のボードゲームは購入し、しかも修学旅行に持っていって遊んだ記憶がある。
 残念ながら、決着が付く前にみんな寝てしまったのだが…。


1986年

6月
アーケード版『イシターの復活』発表
 ナムコが単独スポンサーをつとめていたラジオ番組「ラジオはアメリカン」のCMにて、「構想期間3年、製作期間1年6カ月」「マニアのためのマニアのゲーム」というキャッチコピーがつけられた、まさにマニアのために生み出された続編。
 もともと『ドルアーガの塔』のころから、次回作は『イシターの復活』というタイトルになると、ゲームデザイナーの遠藤雅伸氏がゲーム雑誌などで語っていた(ポスターの右下に書かれた「TO BE CONTINUED」が、続編の存在を示している、とのこと)。しかし、あまりに続報が入ってこないため、結局は絵空事で終わってしまうのか、と誰もが思いはじめた矢先の発表だった。

 そして、前述のラジオCMでも「ウワサはやはり本当だった」と言われたとおり、本当に『イシターの復活』は発売された。前作から2年の時を経て、グラフィックも曲も美しくなり、くわえて前作ではとらわれのヒロインだったカイが操作できるとあって、注目度は非常に高かった。
 当時のナムコは、自身が積極的に「ゲームセンターを非マニア向けな“アミューズメント・スポット”に」と提唱していた時期で、そのゲーム内容と本作は相反するように思える。とはいえ、当時の「ゲームセンター→アミューズメントスポット化」は、まだ試行錯誤の段階で、当然ながらマニア層もまだ数多くゲームセンターに出入りしていた。
 結局、本作においても常連同士で情報交換が行なわれ、ゲーム雑誌にヒントが掲載され、100円玉を積み上げてプレイする者が続出し、他人のパスワードを盗んで遊ぶもいきなり難易度の高い面に出くわして死んでみたり、といった『ドルアーガの塔』当時とあまり変わらない光景が、展開されたのだ。

 この頃から、巷にはゲーム雑誌が複数創刊され、ゲームの攻略情報戦はにわかに盛り上がってきた。ゲームセンターにはコミュニケーション・ノートが置かれ、ナムコ直営店では関連グッズが販売されたりと、ある意味で黄金期の絶頂にあった頃と言えるだろう。

7月31日
『ドルアーガの塔』ゲームブック三部作第一弾
「悪魔に魅せられし者」発売
 東京創元社の創元推理文庫のスーパーアドベンチャーブックのナムコシリーズ、というやたら長いカテゴリーの作品のひとつ。当時にわかにブームになりつつあった、ゲームブックとして登場した『ドルアーガ』である。

 ゲームブックとは、読んでいくうちに選択肢が現われ、読者が自分の判断で主人公の行動を選び、結末までたどり着くというもの。いわばアドベンチャーゲームを本という形態でやったもので、海外(アメリカ?)に端を発するその歴史はかなり古い。単純に正しい選択肢さえ選んでいけばいい子ども向けのものから、テーブルトークRPGのようにダイスを使ってモンスターと闘うものまで、その種類は幅広い。このうち、中高生を中心に人気を得つつあったのが、後者のタイプだ。
 古くは「火吹山の魔法使い」や「ソーサリー」など海外の作品にはじまり、のちに国産のゲームブックも数多く発売された。そのうちのひとつが、創元推理文庫のスーパーアドベンチャーブックというシリーズなのだ。

 当時このシリーズのなかにナムコゲームをゲームブック化したシリーズがあり、すでに『ゼビウス』と『ドラゴンバスター』が発売されていた。この『ドルアーガの塔』は、その第3弾にあたる。
 この作品は、ナムコファンにとっては評価の分かれるところとなった。というのも、この作品でのギルは著者・鈴木直人氏の解釈により、ゲームに登場するギルとはかなり異なるものになっている。たとえば魔法を使ったり、モンスターのフリをしてヘンなものを食ったり、塔の外に出たり、挙げ句の果てにくだらない駄洒落を連発したり……それはでおもしろいものがあるのだが、当時の頑固なナムコファンのなかには、受け入れられない人もいたと思う。
 しかし、ゲームブックとしては活字のみで迷宮を表現するなど、新しい試みが盛りこまれており、ゲームブックファンからは高い評価を得た。

10月27日
MSX版『ドルアーガの塔』発売
 かなりの空白期間をおいてひさびさに発売された、ナムコットのMSX用ゲーム。
 それまでも、ナムコットはいくつかのMSX用ゲームを発売してきた。そのタイトルは、『ギャラクシアン』『マッピー』などファミコンと重複するものから、『キング&バルーン』『ボスコニアン』といった当時MSXにしか移植されていなかった作品、そして『ミニゴルフ』というMSXオリジナルのタイトルまで出ている。
 だが、このころすでに時流はMSX2に傾きかけており(のちにパナソニックが安価なMSX2を発売したことで、一気にユーザーが増えた)、コナミがMSX用ソフトを出しつづけていたものの、時代の波はMSX2に染まりつつあった。

 ゲームそのものは、ほとんどファミコン版と差違がない。ただ、MSX特有の“単色キャラクター”のため見た目がショボイこと、あとは未確認だが音源のちがいによる曲の差異が相違点と言える。

 その後、ナムコットはMSX2(+)にて『ゼビウス 〜ファードラウト伝説(サーガ)』『プロ野球ファミリースタジアム ホームランコンテスト』といったタイトルを発表。しかし、このころになるとMSX(2)そのものが家庭用ゲーム機のイキオイに太刀打ちできず、急速に衰退への道をたどっていた。最終的には『妖怪道中記』の主人公・たろすけを用いた『F1道中記』をもって、ナムコットのMSX用ソフトの歴史は幕を閉じたのである。

 なお、パソコン版はほかにもFM-7、FM-77、FM-77AV、X1turbo/F/G、MZ(いずれも電波新聞社から)など、多数発売されているが、詳細不明につきここでは割愛する。また、同年『イシターの復活』のX68000版もSPSから発売されている(SPSからはX1turbo?版、PC-8801Mk-IISR以降版、PC-98版も発売。しかしSPS移植の『イシターの復活』は、BGMが完全移植とはいっていない模様)。さらに、『イシターの復活』はナムコからMSX2版も発売された。

※SPS版『イシターの復活』の情報は、水無月ゆらぎさんからいただきました。ご協力ありがとうございます。

10月31日
『ドルアーガの塔』ゲームブック三部作第二弾
「魔宮の勇者たち」発売
 「悪魔に魅せられし者」につづく第2弾。こちらは塔の21〜40階までを著している。
 タイトルに「勇者たち」とある通り、この本に登場する勇者はギルひとりではなく、東方の剣士・クルスやヘヴィメタ魔法使い・メスロンなどのオリジナルキャラが、ギルに味方してくれる。
 内容については、まだ解いていないのでここでは割愛したい。
 
12月21日
『ドルアーガの塔』ゲームブック三部作完結編
「魔界の滅亡」発売
 「悪魔に魅せられし者」「魔宮の勇者たち」とつづいたゲームブック三部作の完結編。本の厚さがそれまでとは段ちがいで、かなり驚かされる。
 内容については、「魔宮の勇者たち」同様まだ解いていないので、ここでは割愛させていただく。


1988年

7月22日
『カイの冒険』発売
 もともとこのゲームは、宇宙服を着たアストロノーツが宇宙空間を飛び回る、という骨子のゲームだった。しかし、「おもしろいけど、見た目が地味すぎて絶対売れない」という社内評価をうけ、紆余曲折の末『ドルアーガ』シリーズに組みこまれた、といういきさつがある。
 しかし、それにしても「巫女は攻撃ができない」といい、「勇気を身軽さに変えるティアラ」といい、偶然にも設定とゲーム内容が無理なく一致しているのが興味深い。

 そして、本作ではストーリー部分が大幅に追加・補完され、とくに数多くの固有名詞が初めて明るみに出た。『ドルアーガの塔』や『イシターの復活』のときには全然名前が出てこなかった「ユーフレイト川」「首都バビリム」「マーダック王」「スーマール帝国」「皇帝バララント」……。のちにPCエンジン版『ドルアーガの塔』、そして『ザ ブルークリスタルロッド』などで語られる設定は、この作品で主だったものが形作られたのだ。

 ちなみに、この作品のパッケージや取扱説明書などのイラストを手がけたのは、当時ナムコットゲームのパッケージイラストを多数担当していた、漫画家・イラストレーターのときた洸一氏。篠崎氏のイラストと違い、わりにステレオタイプな美少女的描画となっているためか、ナムコも当時のNGなどでは「美少女アクションゲーム」的なプッシュしていた。


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